北伐 三国志と聞くと、「難しそうだなぁ」と感じる方もいるでしょう。けれども、ここでそっとページを閉じてしまうと、実は“もったいない”んです。というのも、諸葛亮(孔明)がなぜ5回も北伐に挑んだのかを知るだけで、三国志全体のストーリーがグッと面白くなるからです。
この記事は、三国志初心者の方や「北伐って何から理解すればいいの?」と悩む人に向けて、できるだけ親しみやすく、まるで昔話を聞くような気軽さで進めていきます。読み進めると、北伐の目的や流れがスッとつながり、さらに地図や武将の関係まで自然に理解できます。
つまり、歴史のつまずきポイントを“読むだけで整理できる”のがこのページの強み。だからこそ、自信をもって北伐が語れるようになる一歩を、ここから踏み出してみませんか?

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北伐とは?三国志における諸葛亮の対魏戦


🗨️ 要するにこういうことなんじゃよ
北伐とは、蜀が魏を倒すために北へ向かった孔明の連続遠征のことじゃ。あきらめずに五回も挑んだところがミソなのじゃ。
まずは、「北伐ってそもそも何?」という素朴な疑問から、やさしく整理してみましょうか。三国志の中でよく出てくる「北伐」という言葉は、なんだか難しそうに聞こえますよね。
ところが、実際にどんな作戦なのかはフワッとしている人も多いはずです。そこで、まずは北伐の正体をスッキリさせていきましょう。
北伐の正体は「五回にわたる大遠征」
北伐とは、一言でいうと「蜀(しょく)が北にいる魏(ぎ)を倒すために行った連続遠征」のことなんです。主役はもちろん、我らが天才軍師・諸葛亮孔明です。蜀の宰相として、みずから前線に出て陣頭指揮をとりました。
しかも、ここがポイントなのですが、北伐は一度きりの勝負ではありませんでした。なんと、合計五回も北へ向かったという、かなり大がかりで、そして根気のいる作戦だったんです。「一回で決めたいなあ…」と思ってもおかしくないのに、五回チャレンジするあたり、孔明の執念と覚悟がうかがえますね。
なんで「北伐」って呼ぶの?
では、どうして「北伐」と呼ぶのでしょうか。これはとってもシンプルなお話なんです。蜀の国は中国の南西にあって、ライバルの魏はその北側にありました。つまり、蜀から見ると、魏は「北にいる相手」なんですね。
そこで、蜀から見て「北へ攻める伐(う)ち」という意味で、「北伐」という名前になりました。名前だけ聞くと、漢字テストに出そうな硬い印象がありますが、方向と相手さえわかれば、「ああ、北を伐つ作戦なのか」と、意外と単純な話なんです。
最終目標は「漢王朝の復興」
さらに大事なのは、この作戦のゴールが「魏を倒して、漢王朝を復興すること」だったという点です。蜀の人たちは、「自分たちこそが、あの漢王室の正統な後継者なんです」と信じていました。ですから、魏を放っておくわけにはいかなかったんですね。
とはいえ、小さな国の蜀が、超大国の魏に挑むわけですから、客観的に見ると、かなりの無茶ぶりにも見えます。それでも、孔明たちはあえてその道を選びました。なぜなら、このちょっと無茶な挑戦こそが、三国志後半のいちばんの見どころになっているからなんです。
北伐を知ると、三国志全体の流れがグッと味わい深くなります。物語の「後半戦」を楽しむためのキーになる出来事と言ってもいいかもしれませんね。

えっ、五回も北に行ったんですか? わし、その間ずっと留守番してただけなんですけど、それでもちょっとは褒めてもらえますかのう?
さて、「北伐とは何か」がなんとなく見えてきましたね。では、そこまでして蜀はなぜ北伐に踏み切ったのでしょうか。次は、孔明の胸の内を、そっとのぞいてみることにしましょう。
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なぜ蜀は北伐に踏み切ったのか(孔明の目的)


🗨️ 要するにこういうことなんじゃよ
孔明が北伐を決意したのは、“正義感”だけではなく、“時間との勝負”もあったのじゃ。理想と現実の板挟みというやつなのじゃよ。
北伐がどんな作戦か分かってくると、「そもそも、なんでそんな大変なことを?」という疑問が出てきますよね。そこでここでは、孔明が北伐に踏み切った四つの理由について、少し掘り下げて見ていきましょう。
理由① 漢室復興(蜀の正当性)
まず、いちばん表向きでわかりやすい理由が「漢室復興」です。蜀の皇帝・劉備も、そのあとを継いだ劉禅も、「自分たちは漢王朝の血を引く正統なリーダーなんです」と考えていました。ところが、実際に中国のど真ん中を支配していたのは、魏の曹操・曹丕の一族だったんですね。
そこで孔明は、「漢の名に恥じないように、魏を倒して都を取り戻さなきゃいけない」と考えました。これはただの野心ではなくて、蜀という国の存在意義そのものでもあったんです。もし魏を放っておけば、「漢の正統」なんてただの看板倒れになってしまいます。
だからこそ、北伐は国のプライドを守るための戦いでもあった、というわけなんですね。
理由② 魏の内乱を好機と見た
しかし、理想だけで戦争はできませんよね。そこで孔明が見逃さなかったのが、魏の内側で起きていたゴタゴタでした。皇帝が代わったり、重臣どうしの権力争いがあったりと、魏の国内も決して一枚岩ではなかったんです。
「今なら、魏の目線が国内の問題に向いている。ここで一気に揺さぶれば、勝てるチャンスがあるかもしれない」――孔明はそんなふうに計算しました。つまり北伐は、ただの無謀な突撃ではなく、魏の隙を冷静に狙った“チャンス待ちの一手”でもあったんですね。
理由③ 時間とともに蜀が不利になる
さらに、孔明の背中をじわじわ押していたのが、「時間」という目に見えない敵でした。蜀はもともと人口も土地も、魏に比べるとずっと小さな国なんです。時間がたてばたつほど、国力の差はどんどん開いていってしまいます。
「今はまだ勝負になる。でも、十年ものんびりしていたら、もう手の打ちようがなくなってしまう」――そんな焦りが、孔明の頭の片隅にはいつもあったはずです。そこで孔明は、まだ蜀に体力が残っているうちに、何度か北へ打って出て、少しでも魏の力を削っておこうと考えたんですね。
理由④ 南中平定で後顧の憂いを断った
とはいえ、準備もなしにいきなり北へ向かったわけではありません。まず孔明は、蜀の南側で起きた反乱をピシャリとおさえ、南中(現在の雲南・貴州あたり)を安定させました。この南方が落ち着いたことで、蜀は食料や人材を、安心して北伐に回せるようになったんです。
つまり、南中平定は「北伐のための準備運動」でもあったわけですね。南をおさえたからこそ、心置きなく北に集中できるようになりました。ここまで整えてから出陣するあたり、孔明の用意周到ぶりがよく分かります。

よし、準備は完璧ですね! あとは私が道に迷わなければ…いえいえ、なんでもありません、いまのナシでお願いしたいんですが!
こうして、理想と現実の計算を重ねた末に決まった北伐なんです。でも、実際の戦いの舞台はどんな場所だったのでしょうか。次は「北伐の地図」を広げて、その険しい道のりをいっしょに旅してみましょう。
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北伐の地図とルート(三国志の地形・祁山・街亭を解説)


🗨️ 要するにこういうことなんじゃよ
北伐の鍵は、“漢中から祁山へ抜ける細いルート”なのじゃ。地図で見てみると、孔明がいかに苦労したかがよく分かるぞい。
理由がわかったら、次は「どこをどう攻めたのか」が気になってきますよね。そこでここでは、地図をイメージしながら北伐のルートをたどってみましょう。山あり谷ありの、なかなか手ごわい道のりなんです。
険しい山道が続く「北伐の舞台」
北伐の舞台は、文字どおり山また山の世界です。蜀の都・成都から前線基地の漢中までは、険しい山道が延々と続いていました。さらに漢中から北へ進むと、祁山(きざん)や街亭(がいてい)、陳倉(ちんそう)といった重要地点が現れてくるのですが、どこもかしこも攻めるのに苦労しそうな場所ばかりなんですね。
まず出発点となるのが漢中です。ここは蜀にとって、北伐の「玄関口」といえる場所なんです。漢中をしっかり押さえているからこそ、蜀は魏の領土に向かって「行くぞ」とにらみを利かせることができました。
運命の分かれ道「祁山」と「街亭」
そこから北へ向かうと、祁山方面に出てきます。この祁山は、魏への進路をひらくためのとても重要な拠点で、孔明は何度もここをめざしました。ところが、その途中にあるのが街亭です。ここを守りきれないと、蜀軍の補給路、つまりお弁当や武器を運ぶ道があっさり切られてしまうんですね。
この補給路は、軍隊にとっての“血管”のようなものです。ここをどう守るか、どこに陣を敷くかというのが、北伐の大きな悩みどころでした。馬謖の失敗も、この街亭をめぐる判断ミスから生まれてしまったんです。
鉄壁の要塞「陳倉」
さらに、別ルートとして有名なのが陳倉です。ここは山に囲まれた要塞のような城で、蜀軍がどれだけ攻めてもなかなか落ちなかった場所として知られています。細い道、切り立った崖、そして長く伸びる補給線――こうした条件が重なって、孔明の北伐はいつも「地形との戦い」になりました。
つまり、地図をイメージしてみると、北伐はただの「北へ突撃」という勢い任せの作戦ではなく、細い一本橋をそろそろと渡っていくような、ヒヤヒヤする綱渡りの作戦だったことが分かるんですね。

こんな細い道ばっかりじゃ、馬もすねて動かなくなりそうなんですが!
では、この厳しい地形の中で、孔明は実際にどんな順番で北伐を行ったのでしょうか。次は、五回の北伐を年表として、ざっくり整理してみることにしましょう。
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5回の北伐の流れ(諸葛亮の五度の遠征を整理)


🗨️ 要するにこういうことなんじゃよ
北伐は、街亭・陳倉・武都・祁山・五丈原と、少しずつ形を変えながら五回も続いたのじゃ。流れをつかめば全体像が見えてくるぞ。
ここでは、五回の北伐をまず“ざっくり年表”として眺めて、全体の流れをつかんでみましょう。細かい中身は、この次の章でやさしく分解していきますから、まずは肩の力を抜いて見てくださいね。
第1次北伐(228年)街亭の戦い
祁山へ進軍しつつ、大事な街亭を守らせたものの、馬謖が大きなミスをして敗北してしまいました。まさに、出だしからつまずいてしまった形なんです。
第2次北伐(同228年末〜229年頃)陳倉の戦い
今度は進路を変えて、堅固な陳倉を攻めました。しかし、守備隊のものすごい頑張りに阻まれてしまい、最終的には撤退することになりました。ここでは、「壁が厚かったなあ」という印象が強い戦いでした。
第3次北伐(231年)武都・陰平の確保
第三次では、直接の大勝負は避けて、国境に近い武都・陰平という場所を奪い、蜀の防衛ラインを整えました。とても地味に見えますが、これはちゃんと成果のある北伐だったと言えます。
第4次北伐(232年)ふたたび祁山方面へ
第四次では、ふたたび祁山方面へ向かいました。ところが、魏との消耗戦になってしまい、これといった決定打がないまま終了してしまいます。お互いに疲れるだけの、長引いたにらみ合いだったかもしれませんね。
第5次北伐(234年)五丈原の戦い
そして最後の第五次北伐です。舞台は五丈原(ごじょうげん)。魏の司馬懿との長いにらみ合いが続く中、孔明が五丈原で病に倒れ、帰らぬ人となります。ここで北伐の幕は静かに下ろされました。
こうして並べてみると、北伐の流れは、最初に大きく攻めて、途中からはお互いに体力を削り合う「我慢比べ」のような形に変わっていったことが見えてきますね。

先生、五回どころか、のちのち私も何回もやることになるんですが…せっかくなので、私の回数も数えておいてくれませんか?
年表で大まかな流れはつかめましたね。では次に、それぞれの北伐の中身を、初心者の方にもわかるようにサクッと整理していきましょ。
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5回の北伐を超わかりやすく整理


🗨️ 要するにこういうことなんじゃよ
それぞれの北伐には、ちゃんと狙いと成果があったのじゃ。“全部失敗”と決めつけるのは少々早いのう。
今度は、五回の北伐それぞれを、お豆腐をさいの目切りにするように細かく、でも手早く整理してみましょう。読み終わるころには、「あ、そういうことだったのね」とスッキリするはずです。
第1次北伐(街亭の戦い)——まさかの大事な要所で負ける
記念すべき第一回目の北伐では、孔明は祁山方面に出て、魏に大きなプレッシャーをかけました。最初の滑り出しは、かなり順調だったんです。ところが、補給路を守る大事な拠点・街亭に、あの馬謖(ばしょく)を配置してしまったのが運の分かれ目でした。
馬謖は、孔明の期待を受けていたエリートでしたが、ここで山の上に陣を張るという大胆すぎる判断をしてしまいます。「山の上なら見晴らしがよくて有利だと思ったんです!」と言いたかったのかもしれませんが、水の補給を絶たれてしまっては戦いようがありません。
その結果、蜀軍は撤退。第一回北伐は失敗に終わりました。ただし、孔明が涙をのんで馬謖を処刑した「泣いて馬謖を斬る」という有名なエピソードも、ここから生まれているんです。
第2次北伐(陳倉の戦い)——鉄壁の要塞に苦戦
気持ちを立て直して迎えた第二回目では、孔明はルートを変え、陳倉という堅固な城を狙いました。しかし、魏の将軍・郝昭(かくしょう)が、少ない人数で籠城しながら粘り強く防衛したんです。蜀軍は兵糧も尽きかけ、ここでも突破できずに撤退することになりました。
とはいえ、ここで孔明は魏の戦力を引きつけ、無茶な追撃をさせずにきちんと引き上げています。ですから、大敗というよりは「引き分けに近い撤退」と言ったほうが、実態に近いかもしれませんね。
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第3次北伐(武都・陰平)——地味だがちゃんと成果あり
第三回目の北伐は、派手な決戦ではありませんでしたが、武都(ぶつと)・陰平(いんぺい)といった国境地帯のエリアを確保することに成功しました。ここを押さえることで、蜀は北方の守りを厚くし、その後の北伐や防衛戦で有利な位置を確保できるようになったんです。
つまり、「勝ったぞー!」と万歳するような戦いではないものの、じわじわと布石を打った「地味に効く北伐」だったといえるんですね。いぶし銀の活躍といったところでしょうか。
第4次北伐(祁山ふたたび)——消耗戦の色が濃くなる
第四回目では、ふたたび祁山方面に進出します。しかし、魏側もだんだんと孔明のやり方に慣れてきていました。にらみ合いと小競り合いが続き、大きな決着はつかないまま、兵糧不足や兵士の疲れもあって蜀軍は撤退してしまいます。
ここまで来ると、北伐は「一気に魏を倒す」というよりも、お互いが相手の体力を削り合う、長期戦の消耗戦になってきたことがわかりますね。
第5次北伐(五丈原)——孔明の最後の戦い
そして運命の第五回目。舞台は五丈原です。魏の司馬懿と長いにらみ合いが続く中、孔明は病に倒れ、陣中で静かに息を引き取ります。ここで、北伐は完全に幕を閉じました。
表面的には、「結局、魏を倒せなかった」という結果に見えます。しかし、長年の北伐で魏を疲弊させ、その後に司馬一族が魏の実権を握る流れにもつながっていきます。そう考えると、歴史というのは、本当に皮肉でおもしろいものですね。

おい孔明、五回もやるなら、一回くらい酒宴付きの遠征にしてくれてもよかったんじゃないですか?
では、この北伐の舞台に立っていたのは、いったいどんな武将たちだったのでしょうか。次は、蜀と魏、それぞれの個性豊かなメンバーに目を向けてみましょう。
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三国志の名言「泣いて馬謖を斬る」には、
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北伐に参加した主要武将(蜀と魏の武将一覧)


🗨️ 要するにこういうことなんじゃよ
北伐は、孔明ひとりの戦いではないのじゃ。蜀と魏、両方の“一筋縄ではいかぬクセ者たち”が顔をそろえた大舞台なのじゃよ。
北伐といえば孔明がまっ先に思い浮かびますが、もちろん一人で戦っていたわけではありません。ここでは、蜀と魏、それぞれの“キーパーソン”をざっくり押さえておきましょう。どちらの陣営も、なかなか濃いメンバーばかりなんです。
蜀の武将たち——支えた者、やらかした者、最後まで戦った者
まずは蜀側から見ていきましょう。
諸葛亮(しょかつりょう)
言わずと知れた北伐の総司令官です。戦略だけでなく、内政も外交もこなすスーパー宰相で、忙しさを考えると「ちゃんと寝ていたのかな」と心配になるレベルなんですよね。北伐は、彼の理想と現実のギリギリの綱渡りでもありました。
魏延(ぎえん)
前線で戦い続けた猛将です。大胆な作戦を口にすることも多く、「もっと攻めるべきだ!」と強く主張していました。性格はちょっと荒っぽいところもありますが、実力は頼れる前線指揮官なんです。
馬謖(ばしょく)
第一回北伐の街亭で大失敗をしてしまった人物です。孔明の期待も大きかったのですが、結果として軍律により処刑されてしまいました。北伐における“教訓の象徴”のような、少し切ない存在でもあります。
王平(おうへい)
街亭の戦いでは、馬謖の判断ミスを必死に止めようとした堅実な武将です。その後の北方防衛でも活躍し、地味ながらも「この人がいれば安心」という信頼度の高い人物でした。
姜維(きょうい)
後半になると登場し、孔明亡きあとも北伐を続ける“後継ランナー”のような存在です。北伐の火を消したくない、という熱い意志の象徴でもあります。
魏の武将たち——守りの名人たち
一方で、魏側もそう簡単には崩れません。守りのプロたちが勢ぞろいしていました。
司馬懿(しばい)
第五次北伐の最大のライバルです。じっと守りに徹し、「動かないことで勝つ」という、かなり我慢強いスタイルをとりました。孔明と司馬懿のにらみ合いは、三国志後半の名場面中の名場面といっていいでしょう。
張郃(ちょうこう)
北方で蜀と何度も戦った歴戦の武将です。冷静な守備と鋭い反撃で、蜀軍を何度もキリキリ舞いさせました。
郭淮(かくわい)
北方防衛に長けた武将で、地形や補給をふまえた堅実な戦いぶりが光ります。「ここを通ると危ないぞ」というポイントをよく知っていたタイプですね。
郝昭(かくしょう)
陳倉を守った名将です。少ない兵で蜀軍を退けたことで知られ、魏の“鉄壁ディフェンス”の象徴ともいえる人物でした。
このように、北伐は「孔明 vs 司馬懿」という構図だけではなく、多くの武将が入り乱れた“総力戦”だったことがわかりますね。

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さて、作戦の目的も流れも、武将たちの顔ぶれも見えてきました。では最後に、みんなが気になる大問題――「北伐は結局、成功だったのか、それとも失敗だったのか」について考えてみましょう。
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北伐は成功か失敗か?諸葛亮の戦略評価


🗨️ 要するにこういうことなんじゃよ
北伐は“戦いとしては負けが多い”が、“歴史への影響”で見ると無視できぬ成果もあるのじゃ。評価は一筋縄ではいかんのう。
軍事的に見れば「目的未達の失敗」
まず、シンプルに軍事的な結果だけを見ると、北伐は「目的未達の失敗」と言わざるをえません。なぜかというと、最終目標である「魏を倒し、中原を制圧すること」は一度も達成されなかったからなんです。
街亭での敗北、陳倉の攻略失敗、そして五丈原での孔明の死――どれも蜀にとっては厳しい現実でした。軍事的なスコアブックをつけるなら、「これはさすがに勝ちとは言いづらいなあ」というのが正直なところでしょう。
戦略的には「魏の体力を確実に削った」
しかし、そこで話を終わらせてしまうのは、ちょっともったいないんです。戦略的に見てみると、北伐は魏の国力や精神的な余裕をじわじわと削った作戦でもありました。
南の呉とのにらみ合いも続くなかで、魏は常に北方に大軍を置いておかなければならなくなりました。そのうえ、長期にわたる戦いは、人も物資もどんどん奪っていきます。もし北伐がなければ、魏はもっと余裕をもって国内整備や権力固めに集中できていたかもしれません。
その意味で、北伐は「魏を疲弊させ、時間差でボディーブローのように効いていった作戦」と見ることもできるんですね。
歴史全体で見ると「司馬一族台頭の一因」
さらに視野を広げて、三国時代全体で見てみると、北伐は司馬懿とその一族が台頭する舞台づくりにもなっています。
北伐に対応するなかで、ライバルだった司馬懿の権限はどんどん増していきました。その子孫たちは、やがて魏の実権を握ることになります。そして最終的には、司馬一族の晋が中国を統一する流れへとつながっていくんです。
皮肉なことに、「漢室復興」を夢見ていた孔明の北伐が、遠い未来に「別の王朝が誕生する道」を整えてしまったとも言えるんですね。歴史って、本当に不思議でおもしろいものです。

ふむ、歴史とはいつも“思いどおりには進まぬ物語”なのじゃ。それゆえに、ついつい読み続けてしまうのう。
ここまでで、北伐の全体像はかなり見えてきたはずです。さいごにもう一度、「北伐とは結局何だったのか」をやさしく振り返って、この物語を締めくくりましょう。
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北伐とは何だったのか——三国志後半の“しぶとい挑戦


🗨️ 要するにこういうことなんじゃよ
北伐とは、負け続けた戦ではなく、“あがき続けた理想”の物語なのじゃ。
ここまで北伐について追いかけてくると、単なる勝ち負けだけでは語れない、かなり深い世界が見えてきますね。
北伐とは、蜀の諸葛亮が、魏を倒して漢王朝を立て直そうとした、五回にわたる大きな挑戦でした。軍事面だけを見れば、どの北伐も決定的な勝利をつかめず、結果として蜀は国力をすり減らしてしまいます。ですから、教科書的には「北伐は失敗」と片づけられがちなんです。
しかし、少し視点を変えてみると、北伐は単に負けた戦いではないことが見えてきます。魏の体力を削り、司馬一族の台頭を促し、のちの歴史にも静かに、でも確実に影響を残しました。また、孔明の覚悟や、魏延・王平・姜維たちの姿は、「理想をあきらめずに挑み続ける人間ドラマ」として、今の私たちにもどこか響いてくるものがあります。
地図や流れ、武将たちの顔がつながった今なら、もう「北伐? なんだっけ?」とはならないはずです。むしろ、三国志を読み返したときに、「あ、ここが北伐につながっていくんだな」と、物語の裏側まで楽しめるようになると思います。そう思うと、北伐という出来事が、なんだか少し愛おしく感じられてきませんか。

孔明、難しい話はよくわからんのですが…北伐の話を聞いていたら、なんだかお腹がすいてきたのです。ご飯はまだでしょうか?
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Q:北伐とは?
A:蜀漢が諸葛亮(孔明)を中心に魏へ攻め、漢王朝復興をめざした5回の遠征の総称です。
Q:なぜ北伐した?
A:漢室復興、魏の内乱という好機、国力差の拡大防止、南中平定による背後の安定という4つが主な理由です。
Q:北伐は何回?
A:北伐は全部で5回あり、街亭・陳倉・武都/陰平・祁山・五丈原の順で行われました。
Q:参加武将は?
A:蜀は諸葛亮・魏延・王平・馬謖・姜維、魏は司馬懿・張郃・郭淮・郝昭などが中心です。
Q:北伐は成功?失敗?
A:軍事的には失敗寄りですが、魏の体力を削り、司馬一族台頭の背景を作るなど歴史的な影響は大きいです。








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